赦し
パーサ: Jが殺されながらも彼らを赦せたのは、彼らにほんとうの自分を殺せるはずがないとわかっていたからです。
出典:神の使者 P103
2. 世界に下される最後の審判に咎めは含まれていない。₂それは、世界は完全に赦されたもの、罪のないまったく無目的なものと見るからである。₃もとより原因はなく、今やキリストの視覚の中で機能もなくなった世界は、無に帰するのみである。₄それはそこで生まれ、そこで終わる。₅そしてこの世界をもたらした夢の中のすべての影法師も、ともに去っていく。₆肉体は今では無用となり、ただ消え去るのみである。神の子は無限だからである。
出典:奇跡講座 ワークブック編 第2部 10. 最後の審判とは
パーサ:わたしがいま(トマスの福音書)四十七項とされているところに記したように彼はこう言っていたの。
──人は二頭の馬に乗ることもできず、お辞儀を二つに分けることもできない。また召使は二人の主人に仕えることはできない。そんなことをすれば、一方の主人を重んじ、一方の主人をないがしろにすることになるだろう。ゲイリー:それじゃ、身体と心と霊に同じくらいの価値を置くから自由になれず、何度も何度も身体として引き戻されるって言うわけ?
パーサ:そう、でも身体を無視しなさいというんじゃないのよ。別の見方をしなさい、ってことなの。
・・・
これは(トマスの福音書)六十一項から抜き出した言葉なんだけど・・・・。
──わたしは全体であるものから来た。わたしは「父」から与えられている。ゆえに言う。全体であれば光で満たされるが、ばらばらであれば闇に満たされるであろう。
さっきの話に戻ると、言い換えれば、あなたがたは両方ではありえないってこと。少しだけ全体であるなんてことは、少しだけ妊娠しているのと同じで不可能なのよ。忠誠の対象は分割できない。ただ神にだけ心を注ぐべきなの。一朝一夕にできることじゃないし練習がいるけどね。大切なことは何でも一晩では身につきません。あなただってギターが上手くなるのにずいぶんかかったでしょう?ゲイリー:まいいかなってくらいまでに数年。十年たっても、もっとうまくなりたいって思ったよ。
パーサ:そう簡単にJのレベルにまで達するはずはないと思わない?
出典:神の使者 P112~114