スポーツを楽しむために
スポーツを楽しむには、そのスポーツが与えてくれるフィーリングをただただ楽しむことです。
スポーツのコーチたちやプロたちは、よく頭を使うことが重要だと言う人が多いと思います。
確かに、プロがゲームで勝つためには頭を使うことは正しと思います。
頭を使うということは、「スキルの上達」と「ゲームにおける戦術に向上」には大いに役立ちます。
しかし、こと真に楽しむのであれば、頭を使うことは避けた方が良いと思っています。
スキルの向上に寄与するからと頭を使ったとします。
確かに、スキルが上達している間は楽しいと感じるかもしれません。
しかし、必ず上達は頭打ちになります。
上達の速度が鈍化してくると「初心者の頃の楽しさはどこへ?」となっていることに気づきます。
上級者よりも初心者の方が楽しんでいると思っています。
事実、私自身がそうだったからです。
スキーのインストラクターをしていた時よくこんな経験をしました。
幼稚園生の中にただただ直滑降でまっすぐに滑っていく子がいます。
こういう子は、ただただ楽しくて滑っていく感覚が楽しくてしょうがないんですよね。
だから、曲がりたくないです。
滑走感だったり、風がぴゅーっと流れていく感覚だったりを素直に楽しんでいるんですよね。
こちらの心配をよそに、どこまでも突っ走ろうとします。
しかも、何回も何回も永遠に許される限り続けようとします。
こういう子はワクワクニコニコしているのがわかります。
楽しくってしょうがないですね。
こういう風に楽しんでいる上級者を正直見たことがありません。
本来、スポーツとはそういうものだと思っています。
こういう楽しさを奪うのが、頭を使えという号令です。
もう1つよく言われるのが、「頭を使ってゲームしろ」というやつです。
ゲームで勝利したいのであれば、確かにゲームを戦術的に行う方が間違いなく勝てます。
しかし、これはプロでないのなら、悪手です。
それは、どんなスポーツをしてもすべてが同じ質感になってしまうからです。
戦術を使い頭ばかりを使っていると、サッカーをしていても、スノーボードをしていても、テニスをしていても、どれも違いを感じれなくなっていることに気づくのではないでしょうか。
本来であれば、サッカーにはサッカーのフィーリングがあり、スノーボードにはスノーボードのフィーリングがあり、テニスにはテニスのフィーリングがあります。
そして、頭を使えば使うほど、その質感は同質になっていきます。
せっかくのそのスポーツをしているのに、そのスポーツの楽しさが消えていっていることに気づいてほしいと思っています。
先ほど紹介した直滑降の幼稚園児を思い出してほしいと思います。
そうは言っても、試合において自分のすべてを掛け自分を出し切って勝負ができたとき、勝っても負けても爽快な感覚が得られて楽しかったと感じられます。
よく「勝ったり負けたりするのが楽しい」と言いますが、個人的には「自分より少し上手な人と試合をする」のが最も楽しいと感じていました。
挑戦できること自体が楽しいというのは確かにあります。
裏を返すと自分よりかなり劣ると思える人とプレーをするとき、まったく楽しいと感じていない自分がいました。
また、負け続けるとそう思えなかったりします。
これもまた、頭を使うことの弊害だと思っています。
本来、スポーツはそれ自体で楽しいものです。
先ほど紹介した直滑降の幼稚園児のようにです。
上手か下手か、勝ったか負けたか、上手くいったか失敗したかに関係なく、そのスポーツが持っているフィーリングがあると思っています。
このフィーリングこそが楽しさの源泉です。
それ故に、そのスポーツ自身のフィーリングとそのスポーツを取り巻く環境のフィーリングを純粋に楽しむことが正解だと思っています。
純粋に楽しんでいれば、おのずとスキルが上昇するし、スキル上昇から得られた新しいフィーリングも追加され、さらに楽しくなります。
しかし、これは結果であってこれを求めると失敗します。
なぜなら、頭を使い始めるからです。
頭を使い始めると感じることができなくなっていくことに注意してください。
真にスポーツを楽しみたいのであれば、ぜひただただ感じてください。
そのスポーツと環境が与えてくれるフィーリングを味わいましょう。