肉体
₁₀肉体が自分の望むものを与えてくれるとあなたが信じている間は、肉体は確かに罪の象徴であるかに見える。₁₁肉体が自分に楽しみを与えることができると信じている間は、それが自分に苦痛をもたらし得るということも信じるだろう。
出典:奇跡講座 テキスト編 第十九章 平安の達成 Ⅳ.平安への障害 A.ⅰ.17.10-11
あなたのささやかな役割は、聖霊に犠牲という考えを丸ごと与えてしまうことだけである。₂そしてその代わりに聖霊が与える平安を受け入れることである。
出典:奇跡講座 テキスト編 第十九章 平安の達成 Ⅳ.平安への障害 B.ⅰ.9:1-2
₂私の兄弟よ、父の子よ、これは死の
夢 である。₃埋葬もなければ、闇の祭壇もない。陰鬱 な戒律もなければ、邪 な咎めの儀式もない。肉体がこれらのものにあなたを導くことはない。₄肉体からの 開放を求めるのはやめなさい。₅そうではなく、あなたが肉体に課した無慈悲で容赦のない命令から肉体を自由にし、あなたが命じて行わせたことについて、肉体を赦しなさい。₆肉体を称揚することで、あなたは肉体に死を命じた。というのは、死のみが生命 を征服できるからである。₇そして、狂気以外の何が、神の敗北を見て、それが本当だと思うことができるだろうか。出典:奇跡講座 テキスト編 第十九章 平安の達成 Ⅳ.平安への障害 C.ⅰ.8:2-7
1. 贖罪は、ただ、内なる光を開放することによって、あなたの内側で受け入れられる。₂分離以来、防衛はほとんどすべて、贖罪に
対して 防備を固めるために用いられ、それにより分離が維持されてきた。₃これは概して、肉体を保護する必要とみなされている。₄心が思い描く肉体にまつわる数多 の空想は、「贖罪」を達成する手段として肉体を使用できるという歪曲された信念から生じている。₅肉体は神殿として知覚することは、この歪曲を訂正する最初のステップにすぎない。なぜなら、それが改めるのは歪曲の一部だけだからである。₆それは、確かに、肉体のレベルにおける贖罪が不可能だと認めはする。₇しかし、その次のステップは、神殿とは建物のことではないと認識することである。₈その真の聖性は内なる祭壇に宿っており、建物はそれを囲んで建てられているだけである。₉美しい建物を強調することは、贖罪を恐れているしるしであり、祭壇そのものに到達したくないという気持ちの表れである。₁₀神殿の真の美しさは肉眼で見ることはできない。₁₁一方、霊的視覚は、完璧な心眼 であるから、建物のほうはまったく見ることができない。₁₂しかし、祭壇は、完璧にはっきりと見ることができる。出典:奇跡講座 テキスト編 第二章 分離と贖罪 Ⅲ.神の祭壇
アーテン: そこにこの世界の思考システムとJの考えが両立しない最大の理由がある──なぜならJの
現実 は身体にはないのに、この世界の思考は完璧に自分は身体であるという意識の上に成立しているから。身体を超えた先を垣間見ている人たちでさえ、個々の存在という考え方にとらわれているが、じつは個々の存在と身体があるということはほとんど変わらないんだよ。それどころか、個々ばらばらという考え方とそこから生じるすべてのせいで、きみたちは身体の宇宙に自分自身を閉じ込めている。
マスターであるJはなぜ当時の人々とは違って、すべての男女を同じように扱ったと思う?ゲイリー:こっちこそ、どうしてか聞きたいよ。多分、かわい子ちゃんとベッドインしようとしなかった、なんてことは関係ないだろうな。
パーサ:それはね、彼は男性も女性も身体として見てはいなかったからよ。彼は男女を区別しなかった。彼はどの人の
現実 も霊 にあり、どんな意味にしろ霊には制約がないことを知っていた。だから男性だとか女性だとかであるはずがない。いまのフェミニストたちは女性が偉大だと認めさせようとしているわよね。ときには女性を女神と言い、神を「彼」ではなくて「彼女」と呼んだりする。それはそれでいいけど、結局、一つの過ちをべつの過ちと入れ替えようとしているだけね。
Jが神を指して「彼」と言ったのは、聖書の言葉を比喩的に使っているだけ。人々に通じるたとえを使わなくちゃならないでしょ。なのにあなたがたは比喩を現実にしてしまう。Jは神がジェンダーによって制限されるはずがないこと、人々も同じだということを知っていた。だってほんとうは人間じゃないんだもの。身体ではない存在が、どうして人間のはずがある?この点を理解することは、あなたがうすうす感じているよりはるかに重要なのよ。その理由はそのうち説明してあげましょう。
Jは真実を知っていたから、どの身体も同じように──つまり存在しないかのように扱った。そのことによって、彼は身体を超えた不変で不死の霊 という真の光を見ることができた。それこそがわたしたちすべてをひっくるめた一つの現実 なんですからね。出典:神の使者 P70~71
ゲイリー:それでJも普通の人間と同じように身ごもられ、生まれたのかい?
アーテン:身体が重要だと考える人、Jの身体がきわめて重要だと考える人にとってだけ、重要性がある質問だね。きみもやがて自分の問題の答えは心にあり、この世界や身体には(Jも含めて誰の身体にも)ないと気づくよ。これが彼の主要なメッセージの一つだ。そこがわからないと、残りは理解できない。だがきみはほかの身体もどれほど取るに足りないか、理解するだろう。そのとき初めて自分の身体がどれほど取るに足りないかを実感して体験できる。それ以外に自由になる方法があるかい?自分自身で自分をつなぐ鎖をつくっていると気づかなければ、鎖を解き放つことはできない。
出典:神の使者 P99
パーサ: 当時のわたしはあなたとあんまり変わらなかったのよ。いま、あなたやあなたの友たちは三つ──身体と心と
霊 ──の存在を信じている。その三つの「バランス」が大事だっていうのが、あなたがたの哲学でしょう。でも、もうじきわかるけれど、身体をつくって利用している一見ばらばらの心は、霊という変わらない永遠の現実か──これが神と神の王国──それとも非現実的でつねに変化し続けている身体の宇宙か、どちらかを選ばなくてはなりません。この身体の宇宙には、あなたが身体のなかに存在するように見えようと見えまいと、認識できるすべてが含まれている。これがJのメッセージの礎石なのよ。わたしがいま四十七項とされているところに記したように彼はこう言っていたの。
──人は二頭の馬に乗ることもできず、お辞儀を二つに分けることもできない。また召使は二人の主人に仕えることはできない。そんなことをすれば、一方の主人を重んじ、一方の主人をないがしろにすることになるだろう。ゲイリー:それじゃ、身体と心と霊に同じくらいの価値を置くから自由になれず、何度も何度も身体として引き戻されるって言うわけ?
パーサ:そう、でも身体を無視しなさいというんじゃないのよ。別の見方をしなさい、ってことなの。
出典:神の使者 P112~113