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On 7月 21, 2016, Posted by , With 世界 はコメントを受け付けていません

ゲイリー: 前から、なぜ神はこの世の多くの痛みや苦しみや恐怖をほうっておくのか、なぜ善人がとんでもない地獄のような目にあうのか、不思議だった。アーテンとパーサの言ったことが本当なら、神にはなんの関係もないことになる。それなら神の恐ろしさが薄れるんだが・・・。そのうちうとうとしながら、世界の創造について神には責任がないと考えるのは神への冒瀆になるのか、それとも多くの人たち宗教に取り入れた古い神話を冒瀆するだけだろうかと思った。あの二人の言葉を真剣に考えれば、神についての意見をまとめることができ、神がもっと近づきやすい存在になるかもしれない。

出典:神の使者 P40

アーテン:わたしが存在しないだけでなく、きみも存在しないし、インチキな宇宙も存在しない。現実と神に戻る話をするのは仮設の煙幕を吹き払うためばかりではない。きみたちは自分と神の両方を得ることはできない。宇宙と神の両方を得るのは不可能なんだ。どちらかを選ばなくてはいけない。

出典:神の使者 P58

 2. 世界に下される最後の審判に咎めは含まれていない。₂それは、世界は完全に赦されたもの、罪のないまったく無目的なものと見るからである。₃もとより原因はなく、今やキリストの視覚の中で機能もなくなった世界は、無に帰するのみである。₄それはそこで生まれ、そこで終わる。₅そしてこの世界をもたらした夢の中のすべての影法師も、ともに去っていく。₆肉体は今では無用となり、ただ消え去るのみである。神の子は無限だからである。

出典:奇跡講座 ワークブック編 第2部 10. 最後の審判とは

──これがあなたがたがつくった世界を支配している法則である。しかしこの法則は何者も律してはいないし、この法則を冒す必要もない。ただ見て、その先へ行けばいい。
 混沌カオスの第一法則は、真実は人によって異なるというものである。これはすべての原理と同じく、それぞれがばらばらで、他人と自分を引き離す異なる考えをもっている、ということを意味している。この原理は、階層的な幻想が存在し、その一部はより価値が高くしたがって真実である、という信念から発している。

パーサ:誰でも自分の真実を発見し、表現しようとしている。でもその人たちの言う真実とは、じついまの場所に留まるためのものなの。Jが「コース」で教えているのは、すべての人の真実は違わない、ということ。相対的ではないのよ。あなたがたが理解してもしなくても、同意してもしなくても、真実は真実である、と彼は言っている。真実はあんたがたの解釈の対象ではないし、「コース」も同じこと。彼が「師」で、あんたがたは生徒。そうじゃなかったら、「コース」を勉強したってしかたないでしょう?心が勝手に走り回るままにしておけばいい。酔っ払っていればいいのよ。

出典:神の使者 P129~130

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