奇跡講座 テキスト編の読み方 & 学び方

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奇跡講座 テキスト編の読み方 & 学び方

On 7月 15, 2016, Posted by , With 奇跡講座 テキスト編の読み方 & 学び方 はコメントを受け付けていません
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 4. これは心を訓練するコースである。₂あらゆる学びは、注意力と何らかのレベルの学習を必要とする。₃このコースの後半には、最初の数章に深く根ざしている部分があるため、これらの章の注意深い学習を義務付けないわけにはいかない。₄また、あなたには準備のためにもそれが必要である。₅この準備なしでは、後に続く内容があまりにも恐ろしく思えてきて、それを建設的に用いられなくなるかもしれない。₆しかし、はじめの部分を学習していくうちに、後に詳しく述べられる内容を示唆する要点のいくつかが見え始めるだろう。
出典:奇跡講座 テキスト編 第一章 奇跡の意味 Ⅶ.奇跡衝動の歪曲

パーサ:やっぱりわたしたちの兄弟であるJと彼の教えに戻るのよね。彼の言ったことをわたしたちが理解できなかったのには、重大な理由が二つあるんだけれど、あなたがたも知っておいたほうがいい。あなたがたもやっぱり同じ理由で、彼が直接語ることを理解できないでしょうから。第一は、彼は誰かほかの人に語りかけたのではないってこと。ほかの人なんていないのよ。誰もいなんだけれど、そう口で言うだけではダメね。あなたもいずれそれを体験をするし、そのときあなたはかつてないほど解放されるでしょう。わたしたちがJのメッセージを理解できなかった最大の理由は、すでに信じていたことを彼の言葉に重ね合わせてしまったから。スピリチュアルな問題になると、人って必ずそんなことをしちゃうのね。Jはわたしたちに、彼のレベルまで上がっておいでと挑んでいる。ところがこっちは彼を自分たちのレベルまで引き下げてしまうのよ。

出典:神の使者 P51

ゲイリー:ぼくはその人生で大きな進歩をしたんだろうか?

パーサ:そう。でも、どうしてだと思う?あなたはわずかな時間しか教えず、ほとんどの時間は友人の言葉を聞いて過ごしたのよ。幸い、個人的に彼(グレイト・サン)の話を聞くことができた。彼は個人的に話すときのほうが心を開いて詳しく語ってくれた。言い換えれば、あなたは彼の弟子だった──これが大事なことよ。あなたはそれを実践して生きているけれど、今後もそれを忘れてはいけない。それはね、いちばん進歩するのは偉大な師になる人ではなく、偉大な弟子になる人だってこと。

出典:神の使者 P98

アーテン:教師用のマニュアルがいちばん易しいんだが、たいていは神の教師であるとは赦しを実践することである、というのを忘れてしまう。「コース」にもあるだろう。
──教えることは示すことである。
 たいていの学習者は、この教えを伝統的な教師対生徒という形式でなければいけないと思っている。だが「コース」には伝統的なところなどほとんどない。「コース」を教えようとするよりも、学ぼうとするほうがずっとうまくいくんだよ。

ゲイリー:誰でもテキストを解釈したがるんだろうな。それがふつうの傾向だと思うよ。

アーテン:Jが「コース」を教えではなく解釈の対象とするつもりだったら、そもそもこんなものは与えなかったとは思わないかい?きみたちがいろんな見方をするのをほうっておけばいいじゃないか。きみたちは一見ばらばらな存在として、ずっとそうやってきたんだからね。『奇跡のコース』をほんとうに理解すれば(と言ってもそういうことは滅多にないが)、可能な解釈はたった一つしかない。きみたちがこれを変えれば(たいていはそうする)、もう『奇跡のコース』ではなくなる。テキストに混沌カオスの第一法則が記されていたのを覚えているかい?

ゲイリー:覚えていると思うけど、確かめたほうがいいな。

アーテン:それじゃ、「これが・・・法則である」という部分を読んでごらん。

ゲイリー:わかった。
──これがあなたがたがつくった世界を支配している法則である。しかしこの法則は何者も律してはいないし、この法則を冒す必要もない。ただ見て、その先へ行けばいい。
 混沌カオスの第一法則は、真実は人によって異なるというものである。これはすべての原理と同じく、それぞれがばらばらで、他人と自分を引き離す異なる考えをもっている、ということを意味している。この原理は、階層的な幻想が存在し、その一部はより価値が高くしたがって真実である、という信念から発している。

パーサ:誰でも自分の真実を発見し、表現しようとしている。でもその人たちの言う真実とは、じついまの場所に留まるためのものなの。Jが「コース」で教えているのは、すべての人の真実は違わない、ということ。相対的ではないのよ。あなたがたが理解してもしなくても、同意してもしなくても、真実は真実である、と彼は言っている。真実はあんたがたの解釈の対象ではないし、「コース」も同じこと。彼が「師」で、あんたがたは生徒。そうじゃなかったら、「コース」を勉強したってしかたないでしょう?心が勝手に走り回るままにしておけばいい。酔っ払っていればいいのよ。

ゲイリー:それじゃ、「これらの言葉の解釈を見出だす者は死を味わうことがないだろう」というあんたの福音書の言葉は、可能な解釈は一つしかない、って意味なんだね?

パーサ:そのとおりよ──あなた、いい線をいってるじゃない。言いたいことを正確に伝えるためにJは七年かけたし、その女性も全力をつくしたから「コース」は高度なのよ。

ゲイリー:それは考えてみなくちゃ。聖書の古い文学的な翻訳の話みたいだよね。

パーサ:もうわかってるでしょうけど、「コース」は聖書じゃないわ。「コース」のなかの非二元論の部分は文字通り受け取らなくてはいけないけれど、二元論的な部分はメタファーなのよ。だから矛盾はないんだけれど、そこがわかっていないと、間違って「コース」自体が矛盾していると思ってしまう。前にも言ったように、神を除くすべてが結局はメタファーなんですからね。そこに到達するためには、あなたにわかる言葉で助けてもらわなくちゃならない。あなたの無意識の罪悪感を聖霊に癒してもらい、赦しというダイナミズムを通じて、つまり心の巨大な選択力を自在に使えるようにすること天に戻っていこう・・・それが「コース」なの。Jはこう言っているわね。
──これは心の訓練をするコースである。
──訓練されていない心は何も成し遂げられない

出典:神の使者 P128~131

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