聖性(聖なる)

Home  >>  聖性(聖なる)

聖性(聖なる)

On 7月 10, 2016, Posted by , With 聖性(聖なる) はコメントを受け付けていません

ゲイリー:Jは赦しを実践するたびに、じつは自分自身と再び一つになったんだ。

アーテン:そこからもっと大きな意味を汲み取れたかい?

ゲイリー:そのつもりだ。彼は分離という経験から全体(wholeness)という経験へと進んでいた。そして聖なる(holy)という言葉は、じつは全体(whole)という言葉から来ている。トマスの福音書でも言っているね。「私は全体であるものから来た。私は「父」から与えられている。ゆえに言う。全体であれば光に満たされるが、バラバラであれば闇に満たされるであろう」だから、分離と全体の両方であることはありえない。少しだけ全体だなんてことはないんだから。なにもかもが分割されないでいるか、さもなければ分割されるか、どちらかでしかない。物事がどれほど複雑に入り組んでいるように見えても、ほんとうは二つの選択肢しかない。一方は一つにして完璧なる全体、あるいは聖なるもの。だから古い祈りの言葉も「主よ、われらの唯一の神よ」という。そしてもう一つの選択肢は、完璧なる一なるもの以外の、ありとあらゆる分割されたものだ。それしかあり得ない。だからJは完璧にこの世界を赦した。彼の愛と赦しは全的で、すべてを包んだ。この世界を部分的に赦すなら自分の赦しも部分的で、つまり分割されたままだろう、と彼は知っていた。だがこの世界を完璧に赦せば自分も完璧に赦される。
出典:不死というあなたの現実 P38~39

Comments are closed.